概念と哀愁

notion & emotion

愛しすぎた男【アニコナ感想と解釈】

 

コナンは歴史の長いアニメである。

 

そんなことは日本国民であればみんな知っていることだが、みなさんは2021年7月24日放送の『愛しすぎた男』をご覧になっただろうか?

Twitterでは「ホラーだ」「昼ドラか?」とコメントされ、土曜日の夕方のお茶の間をザワつかせた作品だ。斯く言う私もその1人である。

 

コナンには名作が多い。

ベルツリー急行、緋色シリーズ、さざ波の魔法使い…

数々の作品を世に送り出してきたその中に、みなさんの心に残った話もあるのではないだろうか?

もちろんコナンは現在も連載中の漫画が原作で、上記で上げた3シリーズは原作をアニメ化した話の為名作として名が上がる筆頭だ。

私も大好きだ。

 

さて、コナンは歴史の長いアニメである。

 

そのため名作の他に「迷作」も多い。

なんならアニメだけを視聴してきた層にはこちらの方が記憶に残っているのではないだろうか。

所謂この「迷作」は原作漫画にはないアニメオリジナルストーリがほとんどと言っていい。

原作に大きな影響を及ぼさない為1話完結の話が大多数で、それ故か脚本家もハッスルした視聴者置き去りのトリッキーな自由な発想の話が多い。(私は脚本家に疎いので詳しくないのだが有名な迷作脚本家もいる)実際最近の原作を見ていない人でもその異質さから 「これはアニメオリジナルだろうな」と恐らく見抜けるのではないかと思っている。

ただ、そのオリジナルストーリー「迷作」だなんだと言っているが決してディスっているわけではない。お茶の間が沸いているのももちろんだが、実に興味深く芯を食った話も多いのだ。アニメオリジナルの性質上閑話休題といった内容な中に、脚本家の癖みたいなものが見え隠れするのはひとつの見どころなのかもしれない。原作の展開上シリアスで重苦しい雰囲気も最近では多い作品の中、アニメオリジナルストーリーは視聴者の中でもちょっとした楽しみなところはあるのではないだろうかと思っている。私は結構楽しんでます。

 

今回私がこの記事で書くのは三上幸四郎さん脚本の「愛しすぎた男」である。

前述したように私は脚本家さんについてはほぼ無知なので、三上さんについてもほとんど知らずこの作品でもってはじめてお名前を検索した方だった。(すみません)しかしこの作品を見た以上は今後気になる存在になることは確かだ。コナンの脚本いくつか手がけているようなので他も改めて観てみようと思っている。

 

あらすじ

小五郎のおっちゃんとコナンが蘭ちゃんにサプライズで夕飯のカレーを作ろうと買い物に出かけているほのぼのしたところから事件に遭遇する。

空き巣の男を正当防衛で殺めてしまったという夫婦。仲がよさそうに見えるが…

 

事件自体に特別なものはない。いつものように目暮警部と高木刑事が事件現場を捜査しているとことに偶然通りかかったおっちゃんとコナンが顔を出す展開だ。

どうでもいいが人が死んでいるのに「警部殿はカレーに何を入れるのがお好きですかな?!」と聞くおっちゃんはあまりに日和過ぎているだろ。殺人事件に慣れるな!いや、元警察官で現名探偵に慣れるなというのもおかしいのだが。視聴者も30年近く毎週事件に遭遇しているので驚きもしないだろうけど。

 事件現場の家主は桜川将平・絵里菜の若い夫婦だ。空き巣と鉢合わせになったため気が動転した夫の将平が誤って殺めてしまったという。自分のせいだと泣く妻の絵里菜を慰め手を握りお互いを気遣う姿は誰から見ても仲のよさそうな夫婦に見える。正当防衛とはいえ人を殺めてしまった罪は償わなければならないが「将平さんの絵里奈さんへの純粋かつ尊い愛情が認められれば」状況的に刑は軽くなるだろうとおっちゃんは諭す。

事件は探偵の出る幕もなく終わるかに思えたがどうやらこの事件何か裏がありそうだ、と言った流れだ。

 

結論を言えばこの事件は正当防衛などではなく、夫将平の衝動的殺人なので真実を隠そうとする夫婦はまさしく「犯人」と「共犯者」なわけだ。それに加えて妻絵里菜が殺された男に夫の殺害を頼んでいたというとんでもねえ真実も隠れていた。

 

つまりコナンはこの事件の真相と犯人を推理しなければならない。

真実はいつも一つだ。

 

それは探偵側である「コナン」と「視聴者(読者)」においてである。

名探偵コナンは様々な難事件を高い頭脳と経験と知識によって推理していくミステリー作品だ。

過去様々な事件があり、犯人の動機もこれまた様々であった。理解できないと言われる動機もいくつかある。

しかし不可能なものを除外して残ったものが例え信じられなくてもそれが真実なのだ。

 

私はこの作品にはそれに一石を投じるような不思議な感覚を持った。

私はこの話は名探偵コナン」という本来固定された視点を、アニメオリジナルストーリーだからこそできる別視点で提示された作品だと思っている。

何を言っているかめちゃくちゃわかりづらいと思う。

私もどう表現したらいいのかわからないのであれだが伝わったら嬉しい。それをこれから私なりに解釈していくので見守ってほしい。

 

名探偵コナン」という作品の視点

こういったミステリーものの作品には定型がいくつか存在する。コナンもそれは例外ではない。

主人公の探偵視点、犯人視点、探偵側の身近な第三者視点、その他複雑に多数の視点で切り取って一つのストーリーが出来上がっていく場合…と様々だ。

しかしながらコナンは物語の性質上、事件の推理以外にコナンが黒の組織によって薬で小さくされてしまったというストーリーがあるため時に推理ものらしからぬ見せ方をすることはある。それは毎度起こる事件とは事実上関係のない、黒の組織関連でのアクションや頭脳戦描写という意味だ。そのためコナンを軸に話を展開する場合、否が応でも本筋に触れてしまう可能性がある。主人公なのでむしろ避けては通れないことではあるが変な話、コナンを主軸に話を展開してしまうと本筋に影響を与える可能性が出てきてしまうため、アニメオリジナルストーリーでは例えコナンが事件を解決するとしてもあえてコナンの軸を少なくしているように思える。

これは私が個人的に思っている独自解釈なので多めに見てもらいたい。

 

物語の核心

そうなってくるとじゃあ今回の作品の軸はどこにあるのかという話だ。

はっきり言って少し宙ぶらりんなのだ。

コナンでありおっちゃんであり桜川夫婦でもある。人によっては目暮警部や高木刑事かもしれない。

しかしそのどれにも深く立ち入ってはいないと私は思っている。

実に不思議な感覚で、私はこの感覚を「線を引かれた感覚」だと思った。

本当に淡々と事件を見せられた感覚なのだ。

舞台でもなくドラマでもなく、ただ存在する事実だけ。

物語の核心が見えない。

核心がないのではない。あえて描写されていないのだ。

物語に抑揚がなかったわけでもバックグラウンドがなかったわけでもない。

30分という短い時間の中で起承転結がわかるメリハリのある話だったと私は思う。

十分に丁寧な作品だったのに「これで終わるの?」という気持ちになるのだ。

動機だって理解できるし、起こったことの意味もキャラクターの関連付けもできるのに、見せられていないのだ。

核心を。

 

桜川夫婦の関係性

アニメを観た人ならわかるかと思うが、絵里菜という女性がなぜ夫である将平を殺そうとしたのか、その理由を明確に語られたシーンはどこにもない。

でも私たちは理解できてしまっている。

絵里菜という女性がどういった人物で、将平という男性がどういう人物で、どういう夫婦だったのかをきちんと理解させられている。巧妙に。

 

夫婦はおそらく仮面夫婦だったわけではない。

将平が絵里菜を愛しているのは作中通して疑いようもないくらいに描写されていた。

毎日「愛してる」と言い、毎日彼女の写真を撮って額に入れて飾り、彼女のカレーを毎日食べたいと言い、誕生日のメッセージカードにも愛をしたためている。絵里菜のために、絵里菜がいるから。小平が「異常」なほど絵里菜を愛していることがわかる。何より浮気現場だと勘違いした男を殺しているのだ。「愛しすぎた男」とはまさしく彼のことだろう。

対して絵里菜は彼から毎日「愛してる」と言われているのにも関わらず自分は一度も彼に「愛してる」と言ったことはなく、お気に入りのヨーロッパ食器が散乱するところに子供のコナンが来た際には「気をつけて!高いんだから!」と声を荒げているのだ。このシーン「普通」だったら「割れた食器で怪我をするかもしれないから気をつけてね」という方が障りがない。ましてや相手は小学生の子供。わざわざ気をつけて!と叫んでから理由を述べていることもひっかかる。違和感を持った人も少なくないのではないだろうか。

「嗚呼、彼女は自分しか可愛いものはないんだな。」

という本質が透けて見える。

本当に大切にしているものだったら相手が子供だろうが注意する、という意見も間違っていないとは思うのだが、これは見せ方だと思っている。誰もがそう期待するだろうということを裏切ることで違和感と疑問が生まれる。現に子供相手に身勝手な、と思う感情を私は持ったし、その後コナンが「こんなに部屋が荒らされているのに2人の大切なものが無事なのはおかしくないか?」と言っている。同時に二つの違和感を提示されたが、コナンの違和感を先に感じる人は多分少ない。私が感じたような「身勝手な人」という感情の方が多いのではないだろうか。その見せ方はすごく上手いと思った。

 

この夫婦、何かおかしい。

おそらくこの夫婦、もしくはどちらかが犯人であることは間違いないのだが、それよりも夫婦間に言いようもない違和感を抱くのだ。

もしくは夫婦ではないのでは?と勘繰るほど。

お互いがお互いを庇っているように見えて、その実将平だけが絵里菜を庇っているのだ。

将平の絵里菜への異常な愛はわかるのに、絵里菜から将平への愛が一切感じられない。

それどころか所々憎悪や畏怖すら感じるのだ。夫婦じゃないとしたらストーカーと被害者か?

なぜ夫婦のふりをする必要があるんだ?殺してしまった男に関係することなのか?そんな疑問を持ちながら事件は解決へと淡々と進んで行く。

そう、きちんとコナンは探偵として事件の核心に近づいているのに、視聴者である我々の違和感は全く晴れないのだ。桜川夫婦の異常性が気になりすぎて。

 

絵里菜のコレクションの食器がどれくらい床に散らばっているか皆さんは覚えているだろうか?

結構な数散らばっているのだ。ヨーロッパ製の貴重なお高いという食器が。

彼女だけが写った写真を飾るというのはどういう心境なのだろう。彼女が好きすぎて彼女だけの写真を飾るのはわかるとして、1枚くらい2人で写った写真があってもよくないだろうか?ウェディングドレスの彼女が1人写る写真は、夫婦の住む家にそれだけ飾っているのは少し異様に思える。

2人で住むあの家は誰のための家なのだろう。2人なのだから狭い家に住めというわけでは決してないのだが、あの大きさの一軒家に2人で住むのはやけに広いと感じる。二階建ての一軒家。後々子供が産まれて家族が増えてもいいようにと買ったものなのだろうか。

 

全てがどこかチグハグで、たとえば本当に空き巣があの家に入ったとしてこの家をどう思うのだろう。何人で住んでいてどういう関係なのだろう、と思わないだろうか?

若い夫婦が2人で暮らしていると知った時、違和感は晴れるのだろうか。

 

将平と絵里奈のエゴ

終始将平の絵里菜への異常な愛と、絵里菜の将平への不透明な気持ちを感じる本作だが、将平の愛というのは本当に絵里菜への愛情なのか?という疑問がある。

確かにそう描かれているのだが、その実彼の愛というのはエゴに塗れていると私は思う。

彼は「愛している」と言われることに異様に執着していないだろうか?

絵里菜から一度も言われたことがない「愛してる」を別の男に言っている現場(勘違いだが)に激昂し、あまつさえそのまま男を撲殺している。

「浮気現場を見た」というのは間違ってはいないがおそらく動機は別の男に「愛してる」と言ったことにあると私は思う。願ってももらえない「愛してる」をもらえる相手が憎く、願っても「愛してる」と言ってくれない絵里菜が憎かったのだ。事実、愛していると言いながら将平は絵里菜を殺そうとしている。自分を愛してくれない絵里菜は本当はいらないのではないだろうか?「こんなに愛しているのに」と言って壁に穴を空けるほど強くゴルフクラブを振り下ろしたそれがエゴでないならなんなのだろう。

小五郎のおっちゃんに「愛していると書いてあるんだから将平さんしかいないだろう」と言われ、コナンに「毎日「愛してる」と言っている将平さんが緊張して紙に書いて練習しているのは考えにくい」と言われた彼は一瞬凄まじい目をする。刹那全てを知ったように光を失う。

そのメモが絵里菜の書いたものだと知っている将平はきっと気付いたのだ。

彼女がメモを書いて練習しなければならないほど、自分に愛を伝えることができない人間なんだど。

その後カレーの隠し味の下りで、殺人を犯していながらカレーの隠し味について嬉々と語りながら無理矢理搾り出させたような絵里菜の「愛する旦那様」と言う言葉に頬を紅潮させて喜ぶ様はどこか異様だ。

「愛しすぎた男」という題名、何をとは書かれていない。それが妻であることは察しがつくのだが、妻と明言もされていない。夫婦でありながらやはり核心が見えない。ただ「愛しすぎた」のだ。過ぎたるは及ばざるが如しと言うが、愛しすぎたそれは果たして愛だったのだろうか?

 

一方で絵里菜の方も異常なのだ。もっと言えば私は絵里菜の方になんとも言えない不気味さを感じる。

夫婦であることは確かなのに、まるで初めから愛のない結婚をしているように思えるのだ。

特に彼らの結婚については語られていないのに「きっと彼女が彼を愛したことはないのだろうな」と思う。

ある時から境にと言うことではない。なぜ結婚したのかはわからないし、多分この先一生知ることもないのだろうけど、ただ漠然と絵里菜から将平への愛が感じられないのだ。

強いて言えば「彼が自分を一番に愛してくれるから」と言うのが結婚した理由なのだと思う。

愛して欲しかったわけでもなければ彼でないといけないというわけでもない。

彼女の言動から察するに、彼女は自分が中心に都合よくいけばそれでいいのだろう。1人で写る写真、ヨーロッパ食器のコレクション、極め付けは「私、あなたを殺そうとしたことがバレたら身の破滅よ」と言っているのだ。夫を殺すよう依頼した男が夫に殺された現場で、殺そうとした夫に泣き喚いて言うこととしてはあまりに色々ズレている気がする。いっそ開き直っているのかもしれないが。それでも尚保身に走ろうと言うのだ。

自分を愛している将平に誤魔化して嘘をつくように迫る。

自分が捕まりさえしなければ彼女は生きたいように生きれるのだ。空き巣に荒らされたと見せかけるために散らばせたお気に入りのヨーロッパの食器を持って1人でのびのびと生きていける。彼に全て罪をなすりつけて。元々自由になるために殺そうとした夫が少しばかり服役するだけだ。逆にちょうどいいとばかりに。

 

離婚という道でなく夫を殺すという道を選んだこともこの夫婦の間にある見えないものを想像してしまう。

別れを切り出したら彼が激昂しただとか、保険金目てだったのかとか様々な憶測を立てられるがそのどれも真実かはわからない。なぜなら作中語られていないからだ。

少し気になることとしては、将平の絵里菜へのバースデーメッセージだ。

「これからも美しいレディでいてください」というのが妙にひっかかる。

彼は彼女のどこをそんなに愛していたのだろう。

絵里菜の「でも違うのよね」とは何に対してだったのだろう。

 

全て偽証だ

私がこの作品で一番恐ろしいと思ったのは普段のコナンであれば描かれるであろう2人の間にあった決定的ないざこざがまるでスルッと描かれていないのだ。例えば本人が語るだとか、その場にいるコナンやおっちゃん、目暮警部や高木刑事にはわからなくても回想という形で視聴者だけが全ての事情を知られされることは今まで何度も行われてきた。だから犯人に同情もするし「こんなことで?!」と驚愕させられたりもするのだ。いわば私たちは裏まで見せてもらえる権利をある意味で有しているのだ。時に否応もなく、時間通りに食事が出てくるが如く。

「サービス」的にバックグラウンドを描くことはコナンのみならず創作手法として様々な作品に常識化している。

こんな過去があるから彼はこうなってしまったんだ、あんなことがあれば仕方ない。

それを私たちは当たり前のように「見せてもらえるのだろう」と無意識にあぐらをかいている部分はある。なぜならその方がスッキリするし、感情移入もできる。色々なメリットで以て描かれもするしデメリットがないので蛇足的に描かれることも多いのだ。

この作品だってそうなはずだ。別に桜川夫婦の間にあるものを描いたところでデメリットも都合の悪いこともない。コナンの原作に影響が出るわけでもない。描いたほうが「正解」と言ってもいい。(言葉の綾なので描かないことが間違いという意味ではない)

時間の都合?必要なかった?いや、あれはあえて描いていないのだと私は考えている。

冒頭で言った「線を引かれる感覚」だ。

つまり、書かないことでその場の誰も事件の真相以外を知る由もない状況を作り上げられたのだ。

そう、いつだって私たちは本来なら介入できない存在。

急に読んでいた小説の視点が誰のものでもなくなったような、一人称を取り上げられたような気分だ。

え?教えてくれるんじゃないの?この事件の全て。

そんな理不尽なことを言ってしまいそうな自分がいる。

登場人物でもなんでもない一視聴者の私たちに突きつけられる「わからない」という現状。

これがこの違和感の正体だ。

「全て偽証だ」というのは作中コナンが言ったセリフだ。それはコナンがこの事件で桜川夫婦がお互い嘘をついて殺人を誤魔化そうとしていることを言っているが、別に夫婦間のことに言及しようとしたセリフではない。

コナンは探偵で、彼ら夫婦の間にあるものがなんであろうと真実を見つけることが使命だ。

夫婦仲を裂くわけでも仲良くさせるわけでもない。

私たちはうまく視点を誘導されているにすぎない。

真実はいつも一つだが、納得できるように全てを見せてもらえるわけではないのだ。

この先この夫婦の間にあるものが描かれることはないだろう。万が一あったら面白いかもしれないけど、野暮な気もする。この作品の良さは「描かなかった」ことだと私は思っているからだ。

 

 

「気持ち悪い」

色々と語ってきたが、この作品の一番心にひっかかるのはやはりの最後のこのセリフだと思う。

絵里菜が泣き崩れて謝る将平に言い放ったこの一言だ。

そしてこの一言が全てを物語っている。

この夫婦の間にある何もかもを凌駕する一言だ。

たっぷりと時間をためて吐き出されたこの一言で、この作品は一気にホラー感を増したのだと思う。今までにあった昼ドラをかなぐり捨てるほどのインパクトだ。

絵里菜は本当に将平に死んで欲しかったし、愛してなんかもいなかった。ただその真実だけが転がっている。

「でも違うのよね」

「え」

朗々と爽やかな声で話す絵里菜から時折別人のように漏れる低い声はどれも背筋が凍るほど冷たく恐ろしかった。

「私は悪くない」

将平がどうなれば絵里菜にとって都合が良かったのかはわからない。

理想の夫になればよかったのか、死ねばよかったのか、彼女を守ればよかったのか。

とにかく将平は絵里菜にとって地雷で一緒にいたらおかしくなりそうで到底愛することができないこの世から消したいほどの夫だったのだ。

 

どうしてこいつはそんなに私を「愛してる」んだろう。

 

そんな彼女の全てを凝縮した「気持ち悪い」はもはや伝説的セリフだ。

 

まとめ

今回のコナン、皆様にはどう感じたのでしょうか?ここに書いたのはあくまで私の解釈ですのでそれが正しいということではありません。皆さんの目にはどう写って、どう感じたのかすごく興味があります。

多分色々な発見ができる作品だと思います。

将平の左手薬指に指輪があるのに対して絵里菜の指輪は右手の中指にある。しかも結構太めのデザインが施された指輪だ。そこからして2人のズレは表されていたのにさっき気付いた。

私はこの回を3回TVerで観た。

題名からして天才的だったが、内容も素晴らしいものだった。

間違いなく2時間サスペンスドラマとして成り立つレベルの作品だったと思っている。

どう意図して書かれたものだったのかはわからないし、私の解釈なんぞ全部間違っているかもしれない。それでもここまで色々なことを考えさせてくれた作品に感謝したい。

 

ありがとうございます!!!!!!!!!!

 

なんでもでかい声でいやあいいってもんじゃないぞ。

 

 

声優さんの名演技

脚本もさることながら、あのコナンとしては異色の作品を盛り上げてくれたのはやはり声優さんの存在だと思う。私はあまり声優に明るくないが桜川夫婦を演じた2人の声優さんについて少しだけ書いておきたい。

鈴木千尋さん

将平役の声優さん。なんか聞いたことあるなと思ったら千尋さんだった!

私は千尋さんが担当するキャラを好きになることも多かったのだが、まさかここでお見かけするとは思いませんでした。将平のサイコ的演技とってもよかったです。爽やかでよく通る声なのに、だからこそなのかその異常性が際立ってめちゃくちゃよかったです。相変わらず良いお声です。

明坂聡美さん

絵里菜役の声優さん。すみません、私は存じ上げていなかったのですがめちゃくちゃ良い声だなと思いました。少しハスキーで朗々としていて、絵里奈のハツラツとした印象もドスの効いた声もめちゃくちゃすごくて本当に怖かったです。いい意味です。

多分彼女にしかあの役無理だったのでは?というほどしっくりきていました。

「気持ち悪い」最高でした。

役柄的にはあれですが、声はもっとずっと聴いていたいくらい心地よい声でした。

他の作品も見てみようと思いました。

 

お二人の演技もあって素晴らしい作品でした。

ありがとうございます!!!!!!!!!!

 

でかい声出すな。

 

 

 

カレーと愛情

「カレー」と「隠し味」と「愛情」ってどうしてこんなに縁深いんでしょうね。

別にハンバーグでもオムライスでもいいはずなのに。

カレーに何を入れれば美味しくなるか。

各家庭にある様々な隠し味、それから忘れちゃいけないたっぷりの愛情。

皮肉にもそんなものは入ってなくても、将平にとっては毎日でも食べたいカレーになっていたんだから、愛なんてもんはまやかしなのかもしれない。

ちなみに我が家は醤油を入れます。

おっちゃんとコナンのコンビ好きなのでとっても可愛かったのが救いであり、その差が返って恐怖心を煽ったのもまた事実。

そうして溶けていくルーのようにコナンは日常という本筋に戻っていく。

コナンという作品の深みを知った気がします。

つまりアニメオリジナルストーリーは隠し味…?

別にうまくないです。

 

ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。

いいかげん緋色の弾丸の感想書けって思うけど、30分アニメの感想だけで1万字弱書いている私に90分の映画の感想書くにはなかなか体力がいるもので。

なんなら東京事変の永遠の不在証明だけで1万字書くのに。

でも書きます。はい。そのうち。絶対。はい。

 

そんな感じで。

 

 

さ、ウナギ食べよう。

土用丑の日だからね。