概念と哀愁

notion & emotion

20歳以降の自分を想像していなかった

 

別に死にたかったわけでもなく、20歳以降自分がどう生きてどう生きたいかを想像できなかった。

漠然と『多分生きていて暮らしてはいるだろう』と思っていた。

 

結婚しているのか、仕事しているのか、そういうのすらあまり明確な形を成していなかった。

ある意味で無計画だったし、ある意味で危機感もなかった。

 

生まれてしまったんだから生きるしかないというのが近い考えかもしれない。

 

そこに底辺も成功もない。

 

だから今、生きてることに疑問はないが本来と言っていいのか同年代の社会人が持つべき悩みを同じ価値観で悩めない。

結婚も出産も焦らないと悠長にしてはいられないはずだがそれもなく、仕事についても正社員をするでもなく技術職や専門職に就くでもない。

きっと傍から見たら『そんな最低限の生活なんて』と揶揄されるかもしれないし、人によっては生きていけないその日暮らしのようなものだ。

私がそれに対して『焦らないとヤバい』ともあまり感じていなくて、もし今後焦るような事態があるならば今来てほしいと思っているくらいだ。

 

私は人が羨むようなものはおそらく持っていない。『自分じゃなくてよかった』と思われる人生なのかもしれない。

何を思って生きていれば正しいのだろう。

 

そんな何も持たない私が創作だけを手放せないことが幸せかなのもしれない。

 

まだ少し生きにくさを抱えた今日より。

 

降谷の声

草尾さん…!!!!!

ありがとう…!!!!!!!

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

ブログを書いたり書かなかったりする者です。

 

お久しぶりです。

Xを始めた(復活?)けれどそれもそんなに大きく活動したりしなかったりですが、私は元気です。

もう好きなようにやっておりますので、ここも独り言のようなものでございます。

 

さて、冒頭でも書きましたが新声優が決まりましたね。

色々な事情があっての決定とお披露目だったかと思いますが、本当に良かったと思いました。

 

色々気を揉んでおりましたが、それを払拭する声優さんで感謝しかありませんね!

 

さて、少し私のお気持ちを書きたいと思います。

読みすすめる場合には少し気が滅入ることも書くかもしれませんのでご注意ください。

 

 

 

 

そもそもなのですが、私がコナンにハマッたきっかけと言うのが金曜ロードショーで『純黒のナイトメア』の終盤で赤井さんの「ボウヤ」のセリフを聴いて赤井秀一に堕ちてしまったという経緯がございます。

多分初めて声優さんからハマッた作品でありキャラだと思います。

なんだったら終盤のそのセリフを聴くまでなんとなくやっていたから流し見ていた程度だたんです。

本当にビビビっと来たと言うのが当てはまる堕ちようでした。

 

その時は降谷には全然ハマらなかったんですけど(ごめんやで)、後々になって降谷零と赤井秀一というキャラが声優に大きな意味があると知ることになります。

 

知っての通りだと思いますが、ガンダム由来の二人なんですよね。

なので声優さんは意識されているし、声優ありきのキャラでもあります。

キャスティングされている以上は。

 

昨今、声優の不倫騒動が大きく問題になりましたよね。

正直私は不倫の問題については当人同士、身内の問題だと思っています。

それについてどうなろうがどう考えようが「当人が納得するなら」で踏み込む余地はないと思っています。法律的に見れば裁かれる事であるにしろ、関係的なこと倫理的なことにあれこれは言うつもりはないです。もちろん当人は周囲その他にどう思われるかは覚悟していただいて。

 

なので、今回旧声優である古谷氏の女性問題も妊娠やそのほか出てきたものにしても当人でどうにかして仕事については大人の判断にまかせるものだとは思います。

しかしながら、恐らく大多数の逆鱗にふれてしまったのはお相手が『既婚者と知っていた古谷氏のファンであったこと』『古谷氏が自身のキャラを私情に多分に使った可能性があること』だと思うんですよね。

というか、私がそうなんですけれども。

 

あの、オブラート捨てて歯にかぶせた絹も噛み千切って言いますけど

 

 

お前らのプレイにキャラ使ったってことか?????

 

 

本当、憶測だけで言ってしまうしなんなら私はちょっと気持ちが悪すぎて当時出てきた1記事読んで他の情報見ないようにしてしまったんで詳しいことや正しいことがわかってないところあるんですけど、自分の中の解釈としてこれが出てきてしまったんですね。

 

いや、普通に無理でしょ。と。

 

で、問題なのがそのキャラってのが『じゃあ降板・交代で』で済まないキャラなんですよね。

本当に本当にここが一番重大な部分だと思うんですけど、声優ありきのキャラっていう特殊性が首を絞めるんですよ。主にファンの。

 

このキャラはこの声優さんじゃなきゃ考えられない!

の次元超えてるんですよね。降谷零ってキャラ。

まずもって名前がそうじゃないですか。

 

どうしてくれるの?

 

ここまで書いといてアレですけど、私降谷零というキャラは好きですが本命推し的なキャラではないんです。すみません。好きですけども。

その私が途方もなく怒りと悲しみとなんかよくわからない腹痛起こしているんですから、ガチ本命のファンの命の方が心配になりましたよ。みんな生きててくれ。

 

その、主語をファンのようにしてしまって申しわけないのですが全部私の見解ですので悪しからず。

 

私は声優さんのおっかけをしているわけではないので、声優さんに特別な感情を抱くことはほぼありません。好きなキャラを演じてくださってありがたい・嬉しいと感謝するくらい。

声優さんのプライベートも恋愛事情も人間関係も芸能人であることを除けばそこまでの清廉潔白さを求めてもいないです。ご自由に楽しんだら良いと思っています。人間ですから。

 

ですけどね、キャラクターをそういう風に利用するのはダメだと思うんですよ。

『声』であることを逆手に取ってと言うのはアレですが…

 

作品に大きな影響を与えかねないじゃないですか。

作品が作品ですから『じゃあ退場させるか』もありえるわけです。

実際それを望まれても仕方ないと言うか…一つの選択肢になりえるわけですよね。

今のところはそうはなってないのでよかったかもしれないですけど、だからって元通りなわけではないです。

失った物は少なからずあって、どうしようもなく離れざるを得なかった方々がいたと思います。差し出がましいですがその方々には新しい場所で幸せになってほしいです。

原作者の青山先生だって苦しんだと思います。

思い入れある作品のオマージュだったわけですし。

どれも私の憶測ですから、勝手なことではありますけれど。

 

 

そんなわけで私も7年近くコナンという作品で二次創作をさせていただいておりましたが、ちょっとどう触れていいかわからなくなっていました。

自身の色々も重なってツイッター(X)をやめたタイミングなのもあって、幸か不幸か触れる機会はあまりなかったんですけど今でも好きな気持ちはありますし描きたいものもあります。

でも何事もなく表現していくのがどうしても出来なくて、どうしたらいいんだろうと思っていたのが本音です。

普通に何も触れずに「草尾さん!よかった!万歳!」でよかったのかもしれないんですけど、気持ちの整理も兼ねて書きました。

ただのわだかまり解消のようなものです。

腫れ物の膿が出てきてくれたので供養というか。

同意や議論してほしいというものではないです。

 

これで少し向き合っていくことが出来そうです。

本当に草尾さんありがとう…

私と言う小さな個人を救ってくれました。

 

これで心置きなく!…とはならないかもしれないですけど、少しずつ創作として形にできることがあればいいなと思っています。

 

 

ここまで見ていただいた方、ありがとうございました。

映画、楽しみですね。

 

 

 

 

 

HAPPY BIRTHDAY ME!

生まれました~!!

 

生きてる~!!!!!!

 

 

まぁ、それで何をしたかって部屋の大掃除なんですけども。

 

前日までは何をして過ごそうと考えていたんですが、部屋をキレイにしてキレイな部屋で過ごそうと決めました。

結構な大掃除加減で、食器をハイター漬けしたりカーテンを洗濯したりクローゼットをひっぺがしたりしました。

断捨離をすすめてきましたが意外とまだ出てくるもんです。

途中20歳の猫様が「ご飯忘れてるよ」と鳴いてくれて12時に気付いたそんな半日。

 

どうしても来年の手帳が欲しくて都会に出向いたのですが、結局目当ての手帳がなく…ロルバーンの手帳なんですけど…どこにあるのやら…

かくなる上はネット通販があるのでまぁよいのですが。まだまだ自分で買い歩きたい。

 

結局何も買うことはなく最寄駅に帰り、花とケーキを買って帰りました。

モンブランにしようと決めていて、引っ越してからずっと気になっていたケーキ屋さんで買いました。

美しいモンブランです。タルトだったのですが、甘い栗とクリームの為に少し塩気の効いたタルトがよく合っていてとても美味しかったです。アクセントにベリーも入っていて、幸せな時間でした。

私昔はモンブランがあまり好きではなかったんですけど、大人になって食べてみたら「なんて美味しくて上品なケーキなんだ!」と衝撃を受けたお菓子でした。

進化しているというのもあると思いますが、モンブランてなかなかに大人なお菓子だと思います。

 

 

毎年10月15日には忍足くんにラブレター(?)を書いていましたが、去年で卒業いたしました。今までありがとう忍足。

 

特別何か奇跡のようなことや派手なことが起きたわけではないんですけど、いい誕生日を過ごしたと思っています。

猫が元気で居てくれて、私も健康に過ごせている。

最高で素晴らしいことです。

 

そんなこんなで色々なことがあって、色々なことを考えて今日まで来ました。

一度は退いた道もあるけれど、やはり諦めきれない思いがあります。

ってなわけでX復活いたしました。

私がやっていたのはツイッターなので復活なのかは微妙ですけど…

約1年半離れていたので結構わからないことも多くなっているかと思いますが。

自分の心も整ってきたところでいい機会だと思いました。

以前のような使い方・交友はしないかもしれませんが、もしご興味ございましたら見てみてください。

 

イラストのお仕事についても積極的に募集させていただこうと思います。

ですがなにぶん私も生活があり猫も養わねばなりませんので金額については最低ラインを設けさせていただこうと思います。

お気軽なものはPIXVリクエストもございますのでもしお考えの方はご相談ください。

https://x.com/enji_jooo888?t=2BKIZWcmID_ZuBLO1eKpmA&s=09

 

やりたいことはたくさんあるけれど、やっぱもっと絵を描きたいと思います。

 

まだまだ成長途中なわたくしですが、どうか応援いただけたら嬉しいです。

 

いつもありがとうございます!

 

ではまた会いましょう!

 

 

 

もうすぐ誕生日

9月に入ったばかりでなんだが、10月は私の誕生日がある。

 

毎年意識したりしなかったりしているが、別段特別なことはしてこなかった。

歳をとるだけ。大きな変化なんかない。また一年が過ぎる。そんな感じだった。

近年は。

 

今年は早々に「この日は休みます」と宣言し、予定を空けた。

なぁなぁに過ごしていたけれど、今年はちゃんと祝ってあげたい。自分を。

 

とはいえ特に何をするかはまだ決まっていない。

 

ありがたいことに毎年祝ってくれる少数の友人と妹がいるので忘れずに来れた。

どうせ毎年歳をとるんだから、ちゃんと歳をとることを実感させてやろう。

若いだけが人生ではないが、今が一番若いのだ。来年にはまた歳をとる。

そう思った。

 

やりたいことやほしいものはたくさんあるが、そのどれもをすぐにかなえられる現状ではない。でも出来る限りはしたい。

例えばそれが親友の誕生日なら、やっぱり出来る限りするだろうから。

その愛を自分に向けようと思った。

 

去年は財布を買った。

母のお下がりや古い財布を使っていたからかすわりが悪くて、決して悪い財布ではなかったがしっくりこなかった。

自分で財布を選んで買うってちょっとしたイベントだと思う。

お金の家なわけだから色々慎重に選んだ。

結果として満足いく財布を買えた。

財布を変えると気持ちも変わる。

今も財布を取り出すたび買った日のことを思い出す。

オレンジがかったブラウンの皮製の二つ折り財布。

財布の寿命は風水的には三年らしい。私もまだ変える気はないのであと二年は使おうと思っている。

ポール・スミスで財布を買ったのは2回目だ。

本当はGUCCIの財布がほしかったのだが、デザインにピンと来るものがなくて『私はGUCCIがほしいだけなのでは?』となった。ブランドにこだわって気に入らないデザインを買う選択を取ることを辞めた。お金がありあまるほどあったとして、自分が本当に満たされる選択を取ることはできるのだろうか。

そんなことを強く考えた買い物だった。

ポール・スミスのデザインはとても気に入っている。

昔アパレル店員の上司に「艶慈ちゃんがポール・スミス選ぶの意外だった」と言われたことがある。

私はそのときアパレルで働いていたけれど、オシャレのことは半端にしか知らなかった。ブランドについてもそうだ。館内の同じエリアにあったポール・スミスの財布に一目惚れして昼休みに衝動買いした。

ディスプレイが独特で『シュールなお店だな』としか思わなかった。

数色ストライプの二つ折りの財布。

同じデザインの長財布と迷って、店員さんに両方持っては「どっちが様になってますか?!」と聴いた。(どっちでもいいだろうにな)

よく知らなかったから買えたし、好きになったのかもしれない。

ときには『にわか』の方が楽しめることもある。

先入観が邪魔をしないうちは恥も嫌味もないのだ。

 

 

 

今年はどうしよう。

ちゃんとしたケーキを食べようか。

もしくは体験にしようか。

それともいままで我慢していたことにしようか。

 

フワフワそんなことを考えているけれど、やらなきゃならない仕事が手につかない。

締切りが近いのに。

 

今日はとりあえずもう寝ます。

やらなきゃならない仕事をとりあえず一旦切り上げてサウナに行ったので閉店です。

でも、それがあったので「あ、がんばろう」となりました。

息抜きは意識的にいれるべきですね!

 

今日もぐちゃぐちゃですが、読んでいただきありがとうございます。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

足るを知る

丁寧な生活に憧れはあっても実行するには腰が重いくらいに自分は俗的だと思っている。

 

毎朝コーヒーを豆から挽く余裕もないし、大層なコーヒーマシンを導入するほどこだわりも無い。

大手メーカーが出しているどこにでも売っているインスタントの粉スティックで十分なのはだいぶ昔から気付いていた。

 

観葉植物をたくさん置きたいと思っても、葉の一枚一枚に霧吹きをかけ太陽に合わせて鉢植えを移動するめんどうくささにいまだ勝てない。

無添加が体にいいとわかっていてもファストフードの誘惑に抗えない。

 

でもそれって結構極端な生き方を引き合いに出しているんだなと最近気付いた。

 

コーヒーが好きだからといってコーヒーを淹れるのが好きなわけじゃない。

3日に1回水をあげる程度でほったらかしていい植物だってある。

毎日ファストフードを食べたいわけじゃない。

 

どこかを切り取ってクローズアップすることが『真実』でないと啓蒙され始めて随分経ったというのに未だに視野が狭くなる。

 

ダイエットと健康のためにとり胸肉を買い込んだ。Youtubeのストイックな女性たちを参考にするなら、皮を除いて蒸したものに気持ち程度の塩コショウがベストだというのはわかっている。真似したところで続かないことも同時にわかる。もしかしたらそういう食生活が自分にベストな時期が来る可能性だってあるけれど、考えてみたら体脂肪率を一桁にする必要が今の私にはない。油で皮もパリパリに焼いて美味しく食べれた方が総体的に見れば今の私にはベストだと思った。だってとり胸肉を食べていることに変わりはないんだから。

取捨選択は時に合理的なものさしが必要になる。

心と体にはバランスがあることを痛感した。

 

健康診断でお医者さんに不安を打ち明けたとき『厳しい選択で無く、楽しい選択をしましょう』と言われた。

好きなものを我慢するのでなく、食べ方の順番を工夫すれば食べるものを制限する必要はないのよ。データにもそれは出ているしね。

区で実施された健康診断だというのに丁寧に説明してくれお医者さんに泣きそうになった。遺伝的にも生活環境的にも自分の食生活の見直しは必至だったのでとても気が滅入っていたのもある。食べることが好きだったのでそれが制限されると思うとどうしてもいい方向に考えることができなかった。その優しい声色で『考え方と工夫次第で好きなことを制限しない生き方はできるのよ』と言うお医者さんにとても安堵したのを覚えている。アフロっぽいふわふわな髪とフチのある大きな眼鏡、入室した際「あらあらごめんなさい!準備が!」と何かに手間取る姿がマンガのキャラクターのような先生だった。

病院に行くまでは憂鬱だったのに、受診したあとは「行ってよかった」と思えた。

 

その日から自分にあった食生活に徐々に舵きりするようにした。

目移りするほど体にいい食品はあるけれど、正直自分に合うものは限られる。

それは体質や性格的なものもあるし、もちろん経済的な面もある。

力を入れるところ、こだわるところ、そして力を抜いて工夫できるところを探した。

自分にとって何が我慢できなくて何が許容できるものか考える。

正しいだけが健康ではない。

ルーティーン化させやすいものは何か。

 

結果として同じものを食べ続ける傾向がある自分としては好きなものを数種類日々の献立でローテーションすることにした。買うものも限られるしストックも出来る。

ハンバーグが好きなのでハンバーグを作り置き冷凍している。

ただ、ツナギのパン粉を高野豆腐を粉にしたものに変えた。味に変化はないし、健康面にも気遣えるのでオススメだ。かさましのために普通の豆腐をいれてもいいなと、次のストックはそうしようと考えている。

食べるときもソースはポン酢にする。たまに舌がデミグラスを欲するならそれでもいいかなと思っている。その時々の欲求には応えられる限り応えるのがストレスを生まない。

ハンバーグのほかには野菜炒め、納豆など。野菜・肉が組み合わさる献立を意識している。頭を使わないために家でのご飯は少数精鋭だ。

 

ご飯を盛るときは小さいお皿に。人は視覚的にも満足するので、器に“余り”があると不足感を感じる。つまり大きなお皿に満杯のご飯がないと脳的に満足できないということらしい。逆に小さいお皿に目いっぱい盛られていると満足できるということ。これは実際自分でも効果を感じている。脳ってすごい。

 

朝ごはんはヨーグルトにココアパウダー小さじ1とバナナ一本。アガベシロップを少し。

もともと朝ごはんを食べてこなかったのであんまり必要性を感じていなかったのだが、先の先生に「朝に何か食べた方がいい」と言われたので胃に負担のないものをセットにした。これも毎朝献立を考えて作る手間を省いた結果だ。朝食べる習慣がなかったのでそもそもそんなに食べれないのもある。

厳密に何グラムとかはない。ヨーグルトもスーパーに必ずあるブランドのもの。バナナは小さくても一本は一本。ココアパウダーはお試しで入れてみたがこれが結構ヨーグルトに合っていて美味しい。アガベシロップはGI値が21という優秀なシロップだ。上白糖と比べれば割高だがヨーグルととコーヒーに入れる程度なので不満はない。今まで知らなかったが近所のスーパーに置いてあるのを何気なく買ってみたら習慣になってしまった。

今はこの朝食が最高だと思っている。

朝ベッドメイキングをしてフローリングをシートで拭いた後に食べるのがお決まりだ。

実に充実した朝!

 

毎日8000歩を目標に歩く。もともと散歩が趣味なのもあって歩くこと自体は苦ではない。強いて言えば散歩コースを開拓しないと飽きてしまうくらい。新しく買ったスニーカーが足に馴染んできて歩くのが楽しい。8000歩歩けないからといって1歩も歩かないという極端な考え方を捨てる。1000歩歩いたってことは0歩とは雲泥の差だから。

意識して背筋を伸ばして大またで歩くのがクセになってきた。余談だけれど身長がこれで2センチ伸びたのだ。背筋を伸ばすことは侮れない。

 

Youtubeは有益なことも、知らない世界も教えてくれる。

しゃらくさいと思っていた人様のVLOGも今では多種多様観ている。

憧れる反面「この暮らしは私にはできない」と思うこともある。悪い意味ではない。私には合わないなと思うのだ。

好きなVLOGは丁寧で自給自足に近い暮らしだけれど、映画やMVを観ている感じに近い。

前述したものを見たら察するかと思うが私はちょっとズボラで飽き性だ。

それに俗を捨てきれない。

毎朝豆を挽いてコーヒーを淹れられないし、小説だって読まない。

畑を耕したり、アロマを焚くなんてこともない。

フレンチトーストを作って、流行の歌を聴くでもない。

そういうところに自分の理想と現実のギャップを知る。

 

でも決してそれで自己嫌悪に陥っているとかではない。

私はそれでも自分の理想的な暮らしに近づいていると思っている。

インスタントコーヒーでいいし、小説は頭の中で書き上げる。

八百屋さんで野菜を買って、干した布団に顔を埋める。

世界のどこかにありそうな料理を作って、好きな歌をエンドレスリピート。

明日はIKEAのホットドックに初挑戦したい。

ウマ娘コラボ期間中にKFCにも行きたい。

海が見たいし、猫とゆっくり過ごしたい。

旅行にも行きたいし、お金は本当はもっとほしい。

 

今年もあと少しだけれど『足るを知る』が今年の目標だ。

あとどれくらい自分を知れるだろう。

楽しみだ。

 

 

 

 

ワンレンボブ

 

HNを変えました

 

色々考えたり考えなかったりした末HNを変えました。

 

そーし暦が長すぎたのでそーし呼びに慣れている方はそーしと呼んでいただいてかまいません。無理強いしないのであだ名程度に思ってください。

果たして呼んでくれるような方がまだいらしてくれるかは定かでないですが…

 

新HN『艶慈』

読みは『えんじ(Enji)』

 

正直自分が全然慣れ無すぎて大丈夫かな…?と不安なんですけども。

お前はちゃんとしろ。

字面だけだと相当しゃらくさいというか。自分で言うのもなんですが結構オシャレな名前にしてしまった感があります。かっこいいですね。いや、ダサいって言われるかもしれんけど。私はめっちゃいいと思ってます。

好きな漢字を組み合わせました。

色々考えまして、イタリア語とかハワイ語とかね。外国後だと長くなるので二音程度を考えていると結構行き詰りました。既存の言葉だと被る可能性も高いですしね。

いや、被ってもいいとは思うんですが被りたくなかった。

昔『友達に同じHNいる~Www』って言われたの結構カチンと来たことあったんですよね。多分そいつの言い方とかが嫌なだけだったと思うんですけど、そこから被る名前ちょっとアレだなと植えつけられたんです。

被ってる可能性はあると思いますけど、多くは無いだろうってことで。

 

艶という漢字がすっごく好きで。意味もそうだし、何より豊かな色って美しくないですか?いいですよね。いい。

本当は一文字で読み方をどうしようかと考えてました。

つや、えん、あで…

なんなら『艶や』(あでや)にしようかと思ったんです。アイディアとかけた感じもするしって。送り仮名のひらがなと動詞を名前にするっていうのが結構好きだったので。

でもゴテゴテしすぎて「属性過多じゃん」ってなってやめました。

まずもって自分がその名前っぽい感覚になるかなと思ってあんましっくりこなかったので。自分の創作キャラとかだったらまた違うんですけどね。

 

ちょっと変な話なんですけど、読みをどうするか考えていた日に出先で紙袋が目に入ってそこに店の名前だと思うんですけど「えん」って書いてあったんですよ。思わず「あ」って思って、いやいやそんなことで決めるか~?ってなって。正直「えん」はあんまりかなと思っていたんで。で、その日雷がすごくて帰宅時停電で電車が止まってしまったんです。普段なら一本で着く線だったんですけど、ちょうど降りる駅の直前くらいで止まっていて。仕方ないから途中で降りて別路線へ。普段ならめったに使わない線なんですけど。なんとその駅構内にあったお店の名前も「えん」。漢字じゃなくひらがなでね。

あーこれもう「えん」にすべきかーって。

そういう「縁」かって。

ここにも「えん」じゃん。

で、観念して「えん」にすることにしました。

ただ、えんだけだと今度は音の締まりに納得できなくて。めんどくせえんですけど。

じゃあもう一音足そう。

「慈」はテニスの王子様の慈郎からです。

テニプリってめっちゃ良い名前多くないですか?

これ昔から友達とも言ってましたし、テニプリ界隈だと結構言われてることだと思うんですけど、みんなそこまでひねった名前じゃないのに漢字とか音とかすごくいいんですよね。

ちなみに私は「黒羽春風」「芥川慈郎」「滝萩之介」が三大美しいネームだと思っています。

ジローちゃんは音自体は特別変わってるわけじゃないんですけど、漢字が素晴らしいですよね。

慈しむなんて。

読みとして「えん」と組み合わせたときにちょうどいいし、臙脂色も好きだしなと。

あとは濁音が入っているのがいいなとも思っていたので。

ざっくりこれがいいなと思っているものを手繰り寄せると、案外自分が求めていたものは見つかるもんだと思いました。

 

そんなもんで色々ぐだぐだと申しましたが『艶慈』となりました。

湯婆婆に名前取られないように気をつけます。

 

いままで私を表してくれた「そーし」に感謝をこめて。

ありがとう、そーし。

 

やりたいことってコロコロ形を変えるので傍から見たら「また変えるのかこいつ」ってなることもあると思うんですけど、楽しんでもらえる距離で見てください。

私もやったりやめたりしていいところを探しているんで。

初志貫徹とか実直に挑み続ける人に憧れてるけど、不器用だし飽き性だし情緒ガタガタになるし。

それでもなんとかやっていきます。

 

よろしく楽しんでください。

 

 

名前の話

長い事『そーし』と呼ばれてきたし、名乗ってきた。違和感もなく愛着を通り越してもはや意識もしないくらい。

 

だが、ふと考える時がある。

 

このPN私が考えたわけじゃないんだよなぁ。

 

友人からつけてもらったあだ名だ。

当時流行っていたBL小説のキャラに似てるという理由でつけられたものだった。

 

特にこれというものもなく『じゃあいっか』と名乗り続けて今に至る。

長い付き合いだ。

いまさら変えることはないはずなのに、なぜか最近少ししっくりこない。

 

周りがHNを変える子も多い中『名前をコロコロ変えるのもなぁ』なんて思う自分がいた。別に変えてもいいはずなのに。

確かに馴染みある方には『え?!』とはなるかもしれないが、呼び方については悪口じゃないなら頓着は元々ない。好きに呼んでほしいと思っている。

 

自ら名乗るのに違和感があるから変えようと考えている。

 

しかし何が良いか…

自分で決めなくちゃ意味がない。

…気がする。

 

名前って重要だったんだなぁ…

 

学生時代の教諭に自分の名前を自分が考えた名前で呼ばせる教諭がいた。

当時でおじいさん手前の風格のその教諭は多趣味で、探究心と好きが高じて教師になったような人だった。絵を描き、詩を嗜む。国語の教諭だった。

なぜ自分の考えた名前を名乗るのか、いつから名乗っているのか、生徒に何度となく聴かれただろう。

先生は『自分で決めた名前を名乗るのが私が大人になることだと思った。20歳のときに決めた。そこから名乗っている』と面倒くさがらずに答えてくれた。

今ではその名前で郵便物も届くと言っていた。友人はみなその名前で呼ぶとも。

先生の覚悟の決め方は不思議だったけれど、なぜか妙に納得をした。

本当かどうかはわからないけれど。

 

 

名前を変えるかもしれないお話。