概念と哀愁

notion & emotion

春はお別れの季節です【日記】

 

勤勉とは程遠い大学生時代の話だ。

 

私は今でもなぜその大学に入ったのか、通ったのかと考えるほど『大学』の選択ミスをした。

低い意識のまま大学なんていくもんじゃないなと思ったし、大学の人間関係もあまり良いものではなかった。最終的に仲良くしてくれる友人には恵まれたけれど、最初の一年間は友達ができなかった。SNSの普及で入学前からコミュニティが出来ていた中に入るのは自分の性質的に苦痛だったのもある。

仲良くしてくれる友人に恵まれはしたが、なぜか目の敵にされて疎まれもした。学生時代何度かその憂き目は経験している。いじめとまではいかないが気分はよくない。

 

そんな浮かない大学生活の最後に、ある先生に出逢った。

 

先生は年寄りばかりいる身内で固められた学内では随分と若い外部から来た女性の先生だった。

学科が学科なのもあってほぼ唯一と言っていい女性の先生で、先生も学生も男所帯な学内にいて気丈な人だった。有り体に言えば気の強い女性。

 

授業はみなあまり真摯に聴いてるとは言い難い。

専門的で堅苦しい学科だったのでどの授業もだいたいみな変わらない姿勢だった。

先生たちも慣れてるのでボソボソとしゃべるし、とりあえず教科書のページ数を指定する程度。

大学特有の文化なのかおおよそ『教科書』と呼ばれるものはみな先生の著書だ。『教科書』とは名ばかりで、一冊数千円する分厚く堅苦しい本を『教科書』として学生に売りつけ授業で活用することはほぼほぼないのである。

 

大学なんて行かなければよかった。

 

四年間ほぼ毎日そう考えていた。

 

 

 

卒業を控えた最後の授業、その先生は最後の挨拶として話し始めた。

学生たちは変わらず聴いているのか聴いていないのか怠惰な態度だった。

 

『私はあなたたちが東大生と変わらない学生だと思って授業もテストもしてきました。私は他の大学でも教えていますが、あなたたちが特別劣っているなどと考えたことはありません。…この学校の先生に『そんなに真剣に取り組まなくていいですよ。テストも適当に。ここの学生は理解できませんから。』と言われてとても悔しかった。私はテストも授業も他の大学と同じようにしました。あなたたちはきちんと学べる学生たちです。』

 

そう言った先生の声は震えていて、それでも力強く『ありがとうございました』と頭を下げた。

まるで中島みゆきの歌詞に出てくるような人だと思った。

 

私だって決して真面目で勤勉な学生ではなかったし、惰性と単位のために席についているような授業態度だった。けれどもその先生の挨拶を聞いたとき、無性に涙が出てきた。

 

この学校に居て、一番嫌だったのは学生を諦めた先生たちの態度だったかもしれない。

そりゃあ学生の態度だって良いものではなかったにしろ、先生たちがましてや外部から来た講師にそんな吹聴をして運営していることに憤りを感じた。それにどう見返せばよかったのかわからずただ怠惰な態度で居た自分を振り返って腹が立った。

それなのにこの先生は最後まで諦めずに授業をしてくれたのだ。

授業を聴いてもらうにはとか、興味を惹くにはとか授業のやり方は色々あると思う。

その中でこの先生は『最後まで学生を信じて授業する』ことをしてくれたのだ。

当時私は教職免許を取るために教育実習にも行っていたのでそのあり方がどれだけすごいことか十分理解していた。自分が適当に匙を投げたとき、目の前の学生は学ぶ機会を失うのだ。学生がどうであれ。

教員としての責任を果たした先生の実直さに恥ずかしさと懺悔の気持ちがこみ上げた。

 

その日を最後に先生は大学と契約解除になった。

こんなに真摯な先生を、大学側は邪険にしたのだろう。

 

私は先生が出て行く前になんとかして感謝を伝えたくて、味気ないメモ用紙に手紙を書いた。

今まで授業だってちゃんと聴いていない、見放されるような態度の学生だったのにも関わらず『伝えなければ』と思った。

 

職員室で先生を呼び出すと先生は驚いていた。

それもそうだ。先生と個人的にこうして話したことも今までなかったのだから。女学生が男子の3分の1なことを考えれば名前や顔は覚えていたかもしれないけれど。

 

『先生が最後だと聴いたので、手紙を書いてきました。…あの、先生はとてもいい先生です。正しいです。無駄なことなんてしてないです。この学校がおかしいので気にしないでください。諦めずに授業をしてくれてありがとうございました。』

 

そう言って手紙を渡した私を先生は抱きしめて『ありがとう、ありがとう』と何度も言った。

その先生の『ありがとう』を聴いて私も涙が出てきて、二人して職員室前で抱き合って泣いたのを覚えている。

 

授業は聴いていなかったけれど、先生の真摯な態度は絶対に感謝しなければならないと思った。そして、先生に感謝した人がいることを伝えなければ先生はどこかで折れてしまわないかと不安になった。

先生は正しい。それを誰も肯定しない絶望が苦しかった。

 

 

 

 

薄情ながら今はもう名前も思い出せなくて、先生の行く先も今どこで何をしているのかもわからない。

だけど、時々思い出す。

最後の授業で気丈に『あなたたちを信じている』と言った先生の姿。

先生は私を覚えているだろうか。忘れててもいいけれど。

 

元気でいてほしい。

あなたの信頼は今も私を生かしていますよ。