概念と哀愁

notion & emotion

サマー!【日記】

 

暑さ寒さも彼岸まで

とは言うけれど、この暑さはどうにかならないものですかね。

お久しぶりです。3日に一度体調を崩しては2日寝込むを繰り返す虚弱です。

体力が…ない…眠い…だるい…でも食欲はめちゃくちゃある…なんでや…

 

皆様はどうおすごしでしょうか?

私は大好きなオカルト動画などで涼をとったりとらなかったり。

Youtubeにずっとオススメされていた呪物コレクターの田中俊行さんの動画を観てしまったばかりに色々そちらも漁りだしました。

呪物はどちらかというと民俗学に近いかもしれないですね。コトリバコ的な話が好きなので結構興味深く面白いです。

あんまりオカルトに傾倒するとエネルギーを奪われると言われるのでほどほどにしたいとは思います。体調もっと悪くなるのは嫌ですからね…

 

 

なんだか気分が浮いたり沈んだり。昨日あんなに前向きに考えていたことが今日は泥沼の中でもがくような感覚にとらわれて、ふとフラットな気持ちになったときにどっと疲れます。人間うまくいかないものです。

『描かなきゃ』とパソコンを開いては結局下書きもしないでシャットダウンすることも少なくありません。焦燥感と不安は前向きな気持とは裏腹な行動をさせます。むしろ行動をさせないようにします。そして自己嫌悪。自分もよく抗っているなと思いますけども。

描いた絵が誰かに見てもらえないフィールドを作っているのは自分じゃないか?と思い至り、二次創作のログをpixivを復活させて載せることにしました。やはり誰かに見てもらわなければ満たされないし、作品がかわいそうだなと思いました。私の絵を少なからず楽しみにしている人がいることを忘れていた気がします。さすがに10年ネットにあげ続けていますからね。それなりに楽しんでくださる方がいるのは存じております。

 

それに伴ってログを整理して見返していたんですが、まぁ毎回思うんですけどその度に

『私って絵が上手いな…』と我ながら思うんですよ…

不思議ですけど、自画自賛であり第三者目線で『いい作品だな』と思うんです。

自分が自分の好みに沿って描いているので当たり前と言えば当たり前ですが、それでも『このときの線がいい』とか『塗りが綺麗だな』とか他人様の作品を見て思うようなことを思い、面白いことに『私も描きたい…!』なんて感化されたりもするんです。

こういうとき『私って絵が好きなんだな』と思います。

 

祖母が私が幼い頃、海外のアーティストの画集をくれたことを最近思い出しました。

絵を描くことが好きだった私に初めて与えられた『画集』でした。

リアル調ではあたけれど、レトロでポップな色使いと軽やかな筆の流れが特徴的で毎日のように見返していたのを覚えています。

残念なことにその画集は今は手元にはなく、また海外のアーティストだったこともあって名前もわかりません。いくつかある特徴で検索したこともあったけれど、ジャンルが広いばかりに特定することは出来ませんでした。決してマイナーではなかったと思うし見ればすぐにわかるだろうけれど、探し出すのは少し困難かもしれません。

なぜ今まで忘れていたのか。

あの画集は一つの私のターニングポイントだったように思います。

『この絵はどうやって描いたんだろう』と画集を開くたびに考えていました。

独学で描いていた自分にとって、他人の技術は想像でしかありません。漫画で培った見よう見まねの技術とその絵の技術は異なっていました。

絵の知識のない祖母にとって『絵が好き』と言う情報だけで数ある中から選んだその絵は、私の興味の範疇にはないものでしたから私にとってカルチャーショックだったのかもしれません。

絵を描くのも好きだが、絵について考えるのも好きだ。

そう自覚した出来事だったと思います。

 

絵を描くのが億劫になるときが少なからずあります。

今までは夢中で描いてきたから考えたことなかったけれど、なぜそういうときがあるのだろう。

一人で考えているときほど答えはでないものなんですよね。あれかも?これかも?と雲を掴むような原因を見つけては『それも一つの理由ではある』と思いながらどこかしっくりきませんでした。

母親と喧嘩まがいの会話をしていたときに『私は私のアイディアしか描くことはできない』と口から出て、なぜか腑に落ちてしまったのです。『これだったのか』と母との言い争いもそこそこに何度か口の中で反芻しました。

『私は私のアイディアしか描くことはできない』

急かされるように『描かなきゃ』と思っていた物は、今までは『はやく表現しないと落ち着かない』と思っていたものだったけれど、最近では『描かないと誰かからの評価がもらえない』にすりかわっていた気がします。

それを不純な理由だとは思いません。誰かに評価されたり喜んでもらいたいから表現するというのは立派なモチベーションで理由です。しかしながら私にとっての活動源とはズレていました。億劫なのは他人の軸で理由を見ていたからだったのだなと思いました。私がどうしたいかが上手い具合にすりかわっていた。これは色々な場面でよく起こりうることです。

目的と手段が入れ替わってしまうというやつだ。厄介なことに様々な場面でそれは起きて私を惑わせる。『私って何のために何がしたくてこれやってたんだっけ?』となって足を止めさせます。

 

もっと明確に目標があれば迷わずすすめるのかもしれませんけど、うまくいかないものですね。

 

 

絵を描くということをこの短期間でいろんな角度から考えてきましたけど、まだまだ考えては答えを出していきそうです。

 

描くことも、書くことももうちょっと調子よくうまくなりたいものです。

ゆっくりのんびりしてられないと思っていたけれど、せかせか生きたいわけではなかったしなと思い直し、開き直って図々しく活動していこうと思いました。

pixivもインスタもそうだし、他も色々とね。ダメだと思っていたことを考え直します。

やりたいことやったもん勝ちの精神。

 

 

今日もまた、支離滅裂な文章を見ていただきありがとうございます。