概念と哀愁

notion & emotion

君たちはどう生きるか【ジブリ】【語り】

 

映画は観ていないのですが(観てないんかい)私が最近よく観ているYoutubeバキバキ童貞(ぐんぴぃと相方土岡)が語っているのを観て感化されまして。

youtu.be

私もジブリについて語ってみようかなと。

 

実は全然違う記事を数日前に書いていたんですけど、私のクソwi‐fiが切れて(マジで夜はよくオフラインになる)そのまま飛んでしまって不貞寝していたんですよね。

まぁ、たいした内容でもなくて柏餅食べながらタンスをリメイクしたってだけなんですけど。そのうち気力が回復したらリベンジするかもしれません。そう言ってしたためしはない…。

 

よければバキ童の動画も観てほしいんですけど、二人ともかなりおしゃべりが上手。芸人さんなのでもちろんべしゃりが上手いのはそうなんですけど、伝える力というのか…熱量もそうですしちゃんと自分の中の感情を言葉に出来ていておもしろいんですよね。この動画はちょっと長いんですがあっという間に観れるので興味ある方はオススメです。

他の動画もおもしろくて好きです。あとぐんぴぃが哀ちゃん好きなのも親近感わくよね。

 

 

 

ともあれ私のジブリ遍歴ですが、最近のジブリ作品は疎くてもっぱら昔の作品が中心です。特に好きなのは魔女の宅急便紅の豚。トトロやラピュタも好きです。

あとはこないだロードショーを観てもののけ姫のすごさに改めて気付きました。

もののけ姫ってすごくないですか?

あまりにストーリーがしっかりしていて2時間で収められてるのもそうですけど、いい意味で2時間以上の体感を得られるすごい塩梅の映画だと思うんですよね。

止むに止まれず呪いを受け村を出たアシタカ、山犬に育てられた少女サン、女城主のエボシ、権力に従うジコ坊、里山を失ったオッコトヌシ、生と死を司るシシ神…こんなに勢力が多いのに変に端折るでもなくかといってだれるような描写もなくきちんと思惑が交錯して一箇所に集まるように描写されててすごいなと感嘆しました。

何度も観ていたはずなのに今まであまり考えたことが無かった。多分そのときの私の視点がそういう捉え方をしたんでしょうね。

決して貶めるつもりはないんですけど、アニメ映画ってどうしても要素が限られてもうちょっとほしいなって思うことがあるんですよね。

斬新さも必要なので原作ありきの映画だと映画限定のキャラにスポットが当たってしまうので物語としてちょっと偏るというか。でもそれだけじゃ既存キャラの存在が薄くなるので、見せ場が大胆に派手になってテンポを早めているなと感じます。あとは90分という時間制限もそうさせるのかもしれない。

それはそれで好きな作品も多いし、映画でしか観れない醍醐味もあるんですけど、バランスよく展開しているという点でもののけ姫って優れているんだなと感じました。正直こないだの金曜ロードショー観るまで『もののけ姫って評価高すぎじゃないか?』なんて思っているくらいだったので、鑑賞するタイミングって大事なのかもしれません。世間の評価と自分の評価のズレももちろんありますけどね。

 

もののけ姫で好きなシーンはモロがサンを『哀れで醜い、可愛い我が娘』と言う場面。なんというか、モロの賢く気高い生き方・考え方を見せられるシーンというか。モロが手放しにサンを『山犬で自分の娘』だとは言わないし、言えないところが二律背反というか…例えるならシャンクスの選択Bをしたのがモロ。(どんなだ)

自分は山犬だから山犬を育てるのと同じように育てたけど、サンが人間であることを決して否定しないというか…人間であることも尊重してるんですよね。それが残酷な結果になることもわかってて、それでも現実を絶対無視しなかった。モロの強さと言うか母性というか。この子を娘として育てた責任は取る、でも人間であることの責任は人間がとるべきだ。と考えている。サンが自分を『山犬だ』と言うたびにそれを突き放さなきゃならない。それでもする。この女は強いぞ…オッコトヌシが惚れるわけだ…。オッコトヌシ様もよく出来た方だけれどね。怒りをどうしても昇華できなかったことが悲しいし、理解も出来る。

もののけ姫もののけと人間の話なのに、もののけの方が『人間』みたいな感情を持っていて皮肉が効いているなとも思います。

アシタカに『あの子は人間だぞ』と言われて、それを一番よく理解しているのはモロですからね。モロが賢く気高く優しかったが故に皮肉にも一番人間として美しい根幹を育てているんですから…モロは教育本を出すべき。(着地浅)

 

あとはシシ神様の描き方ですかね。めちゃくちゃ不気味に、底知れなくて、人でももののけでもないしそうであるようにも見えるって描き方。シシ神様についてってなんかほぼフワッとしか言及されてないと思うんですよ。でも圧倒的存在感がある。目力のせいなのはそれはそう。昼間はもののけみたいな姿なのに、夜はでいだらぼっちっていうある種人間を模した存在になるの異質すぎますよね。

そして彼は(彼女でもあるかもしれん)生かしもするし殺しもする。

実に神らしい神だ。何をもって神と定義するかは文化や風習、宗教の違いによっても異なりますけど、多分一貫して神は『どうすることもできるし、どうもしない』って存在なんだと思います。まず生きるフィールドが違うから、人間の気持ちなんてわからないと思います。わからないというか『言ったらわかってくれる』かな。

『私今悲しいんです』と言ったとして『そうか、悲しいんだな』で終わるんですよね。悲しいからどうしたいか言ってくれないと行動しないというか。『悲しいんだね。で、どうしたい?楽になりたい?』みたいな。サイコパス上司かな???

いや、でも私の中での神ってそんな感じ。

シシ神がアシタカの痣を癒したとき、アシタカがどう望んでいたのかはわからない。でもアシタカは元は気高い神が人間によってタタリ神と化しそれを仕方なくとは言え討ってしまった罪悪感というか、罰せられるべき意識が少なからずあったから全治しなかったのかなと。言わないとわからんくせに繊細なとこ見極めるな…

いや、これはあくまで私の解釈です。

シシ神はあくまで目の前の者の声を聴いただけ。それ以上でもそれ以下でもない。

あのシシ神は私たちが考える畏怖や信仰心を視覚化した存在なんでしょう。宮崎駿は絵が上手い。(着地浅2)

 

 

もののけ姫でこんなに尺を使うとは思わなかった。

魔女の宅急便の好きなシーンもお話させてください。

 

魔女の宅急便ってあんまり魔女たるものへのスポットって当たってないんですよね。いや、劇中何度も魔女について言及したりあり方について言ってはいるんですが、その実『キキ』という13歳の少女の葛藤ばかり気になっちゃうというか。もちろんキキの成長が題材だというのはわかっています。13歳っていう絶妙な時期もいいですよね。天真爛漫だけではいられない、いろんな感情に振り回されて自分を見つけていく。魔女の宅急便には13歳の少女の瑞々しさがあります。

なんかだ文字にすると変態臭い。けれども私はキキを『セクシー』だと思うんですよね。

ウルスラの絵のモデルをすることになったキキは、なにもかもに自信を失っていてとても自分を好きになったりは出来ない時だったと思います。

魔法も使えない、男の子には距離を置いちゃう、気を許せる友達もいない。

鏡を見るのもきっと嫌だったはず。

そんな中で絵を描くために山小屋に篭るような、ヒッチハイクしたおじさんに男と間違えられてしまうようなともすれば変人のウルスラに絵のモデルを頼まれる。

『彼女ならいいか』と思えるだけの要素がある。これがデザイナーをしてる都会的でオシャレなお姉さんに頼まれていたらきっとキキは萎縮して断ってしまうと思う。なんで私なんかに頼むんだろうと怒りに似た感情だってわくかもしれない。別にウルスラを下に見ているわけではないけど、彼女なら裏表も透けて見えるほど悪意がないとわかるから、キキは楽だったのかもしれない。わざわざ遠出して会いに来てくれるくらいだしね。

ウルスラの絵って美しいけど、独特ですよね。

確かに芸術的だけれど、万人に受けるわけではない。私は絵を描くけれど、ウルスラの絵を見て『キレイ』とこぼしたキキに『この絵を見てまずキレイと言えるんだな』と思ったのを覚えている。私が幼かったのもあるけれど、あの絵を見て『どういう絵なんだ?』と思うのは多分不自然なことではないと思う。おまけに生首(に見える)はキキだって言う。似てないじゃん?!と。

キキはそれに対して『私、こんな美人じゃない!!』と言っていて、私はそれにも『キキはこの子が美人に見えるんだな』と思った。今見れば美しいと思えるし私もこの絵は好きだけれど、キキに似ているかと言われると似てはいないと思う。みんなはどうだろう。

 

ここから好きなセリフだが、

ウルスラは笑い飛ばすように『あんた美人よ』と言うのだ。

 

正直、キキを取り立てて美人に描いている描写はないし多分宮崎駿も美人には描いていないと思う。ジブリ作品の美人は華やかさがある。そうでなくても美しさを際立たせるような手法を使っていることが多い。キキは確かに可愛らしさがあるけれど、美人かと言われると少し違うと思う。年齢的にも『美人』というのはなんだかちぐはぐだ。

でもウルスラはさも当たり前のように言う。おべっかや冗談でなく心の底からキキを美人だと思っている。

 

きっとキキには晴天の霹靂だったかもしれない。だって自分には今いいところなんてひとつも見つからないんだから。魔法も使えないし、素直じゃなくてうじうじしてて何一つうまくいかない…魅力なんてどこにもない!

 

魔女の宅急便を観る時、自分がキキの目線の時とウルスラやオソノさん目線の時がある。キキのように悩むこともあれば、キキを愛おしく思う時もある。

ウルスラがキキを美人だと思う理由は多分探せば言葉に出来るかもしれないけれど、美人に見えることに理由を探したりはしない。

色々な要素があって、キキの美しさに惹かれているのだと思う。

 

キキがアイデンティティのない自分に自信をなくしてしまう気持ちもわかるし、キキという人間が悩んでいても苦しんでいても美しいと思うウルスラの気持ちもわかる。

 

魔女の宅急便はキキが13歳という子供と大人の境目で、また女の子であることの苦悩や葛藤を描いているけれど、いくつになってもキキの立場に戻されるときがある。

そんなときにウルスラの『あんた美人よ』を聞くとがんばれる気がする。

そういえばオソノさんも同じようなこと言ってくれていたな。

 

キキってセクシーじゃないですか?ちゃんと悩んで、ちゃんと自分を嫌になって、でも諦めない。最後には絶対元気になる。

13歳の女の子の瑞々しさが眩しくて好きな作品です。

私も『あんた美人よ』が言える人になりたいと思っています。

 

あとツイッターでも何度か言ってたんですが、ネタにされてるけど『私、魔女のキキ!こっちは黒猫のジジ!』って友達も紹介できるキキはめちゃんこ出来た子だと思います。紹介、大切。

 

 

 

 

長々語った割りにいつもどおりまとまってんだかなんだかですけど、みなさんも好きな作品のここがいい!を表現してみたら楽しいと思います。

『こんなシーンをそう見るんだ!?』という発見が出来て私は好きなんですよね。感想と言うか、解釈と言うか。

私はまだまだ言葉にできませんが、アウトプットしていきたいと思います。

更新頻度もうちょいあげようねーーーー!!!(フワちゃんのテンション)