概念と哀愁

notion & emotion

『ご馳走様』の特別な響き【日記】

 

「『ご馳走様』って言ってくれる人、いいですよね」

 

美容師見習いのバイトの女の子がレジから戻ってきて言う。

「いいなって思っただけなんですけど…」と自分の発言の着地に足をもたつかせる姿が可愛いと思った。私は「うん。いいよね。好きだよ」と返した。

 

手荒れがひどくて水仕事を敬遠しながらも、結局飲食店での勤務経験が長いのは他ならぬその言葉にあるのかもしれない。

接客も調理も経験したが、やはり『ご馳走様』を直接肌で感じるのは調理の方だ。

 

「別に言わなきゃいけないとか言わない人が嫌な人とかじゃないけれど、やっぱり言われたら嬉しいよね」

そう言うと首が取れんばかりにバイトの女の子が頷いた。「素敵ですよね」と顔を綻ばせる彼女の実家も飲食店だ。就職先は美容室だけれど、彼女もきっと「接客」のとりこになっている。

お客さんが喜んでいるというのはこんなに嬉しいことなのだろうか。

結局私は飲食店が好きなのだ。食べるという行為に生じる付加価値に大きな意味を感じている。

「美味しい」「楽しい」「幸せ」そんな言葉や顔が見れると嬉しくなる。

 

身近でいて生きる上で不可欠なそれは三大欲求である以上に娯楽でもある。

好みはもちろんあるかもしれないけれど、きっと味以外の感謝が詰まっている言葉が『ご馳走様』だ。

 

ここ数ヶ月その言葉の意味をすごくかみ締めていたから、彼女の言葉はタイミングだったように思う。シンクロと言えばいいのか、私の心にあったものが答えあわせでマルをもらったような高揚感と安心感で包まれた。

 

将来飲食店をすることはあまり考えていなかったけれど、最近ではそれもいいかと考える。自分の料理は絶品でもないが決して不味くはないという自己評価だから発展や拡大は想定していないけれど、羽安めの傍らにあると嬉しいくらいの価値のものは出したいななんて妄想をしている。

 

『誰かを喜ばせたい』と『誰かに喜んでもらえたら嬉しい』は似ているようで違う考え方だ。

 

『ご馳走様』はそのどちらにも響くちょうどいい塩梅の言葉なのかもしれない。

 

少し勇気がいるかもしれないけれど、もし少しだけ声を出せるなら是非言ってみてほしい。

 

日常を少しだけ豊かにできる言葉。

 

『ご馳走様』